アメリカの金融機関の体系は、預金型金融機関と非預金型金融機関に大別される。また、前者は商業銀行および貯蓄金融機関より構成されている。
国法銀行と州法銀行
商業銀行は、1913年の連邦準備法の制定によって確立をみた連邦準備制度Federal Reserve System=FRS(連邦準備理事会のもとに12の連邦準備銀行が各地区に置かれ、連邦準備券と称する銀行券を発行するとともに金融調整をも行う)を中心に、国法銀行(連邦法としてのグラス‐スティーガル法Glass-Steagal Actによって規制される商業銀行)と州法銀行(各州の銀行法によって規制される商業銀行)とからなる。国法銀行は地元の連邦準備銀行(株式会社)の株主となり
アパレル 求人のメンバーになること、つまり、加盟銀行になることを
エンジニア 転職されるが、州法銀行はFRSへの加盟が任意となっている。
他方、貯蓄金融機関thriftとは貯蓄銀行savings bank、貯蓄貸付組合savings and loan association=S&L、信用組合credit unionを総称した名称であり、預金で吸収した資金を、前二者は主として住宅金融、後者は主として消費者金融に運用している。また、これらの
アパレル 求人も商業銀行同様に州法人資格か連邦法人資格かを選択することになっている。元来、これらいずれの金融機関も要求払預金を取り扱わず、もっぱら信用仲介機能のみを果たしてきた。
金利自由化と競争激化
しかし、1980年に制定された「預金型金融機関の規制撤廃と貨幣統制法」(預金金融機関規制緩和・通貨管理法)が、預金金利の段階的自由化と預金型金融機関すべてに準備預金制度(預金の一定割合を準備預金として連邦準備銀行に預入することを義務づけ、その預金準備率を変更することによって信用創造能力を調整しようとする制度)を適用することを規定したため、預金金利の自由化が進められ、商業銀行と貯蓄金融機関は激しい
転職にさらされることとなった。とくに、規模が小さく、長期の住宅金融を専門としている貯蓄金融機関においては、経営状態が極端に悪化し、合併や提携することを余儀なくされた。そこで1982年に「貯蓄金融機関再建法」(ガーン‐セントジャーメイン法Garn-St Germain Act)を制定し、貯蓄金融機関が住宅金融のほか企業金融や消費者金融にも一定の範囲まで資金を運用できるよう、運用の弾力化を認めることを中心に改革を行った。さらに、NOW勘定(利子のつく要求払預金)が
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セーフティネットの確立
以上のような預金型金融機関は、決済性預金の形でマネーサプライ(通貨供給)の重要な部分を担当していることから、破綻(はたん)したりまたは破綻のおそれがあるような場合には、経済へ深刻な悪影響を及ぼすことになる。このような事態への対応を目的として、しかも金融機関に対する公衆の信頼を維持し促進するための制度が預金保険制度である。この制度の下に預金型金融機関に破綻を起こさせないよう、事前に準備を進めるとともに、金融システムのセーフティネット(安全網)としての役割を果たすことを目的にして設置された機関が連邦預金保険公社Federal Deposit Insurance Corporation=FDICである。すなわち、この預金保険制度は、預金者保護の観点から、銀行が倒産したときに、預金保険公社が銀行にかわって一定金額まで預金の払出しを行うものである。1989年の金融機関改革、再建、および規制実施法制定以来、この保険が対象とする預金は、銀行預金と貯蓄金融機関預金の両方である。ただし、保険基金はFDICの下で銀行保険基金と貯蓄金融機関保険基金に分かれていて、銀行および貯蓄金融機関はそれぞれの基金に別々に保険料を払い込んで預金を付保され、保険料率はおのおのの基金によって独自に決められる。現在、銀行保険基金においては、91年の連邦預金保険公社改革法の制定によって、銀行の自己資本比率と経営の健全性へ連動するリスク反映預金保険料率と、自己資本比率の改善を施す早期是正措置が導入されている。
非預金型金融機関
次に非預金型金融機関については、FRB資金循環統計で分類されている16部門が、保険・年金基金およびその他の金融仲介機関に分けられている。保険・年金基金には、民間年金基金、州・地方職員退職基金、および生命保険、損害保険等の保険会社が属し、その他金融仲介機関にはMMMF(Money Market Mutual Funds)、ミューチュアル・ファンドやクローズド・エンドファンドなどの証券投資信託、消費者金融の分野における、販売金融会社、消費者金融会社などのファイナンス会社等のほか、政府後援金融機関Government Sponsored Enterprisesが分類されている。
イギリス
イギリスの金融機関は、中央銀行であるイングランド銀行を中心に、銀行部門を構成する商業銀行、割引商社、引受商社と、多数のその他金融機関からなっている。
イングランド銀行は1694年に設立され、1844年のピール条例Peel's Actによって中央銀行となった。同銀行は発行部(銀行券の発行)と銀行部との2部門に分かれている。同銀行の公定歩合は長くロンドン金融市場の金利体系の中心に位置していたが、1972年の「競争と信用調節」(Competition and Credit Control=CCC)の導入に代表される金利自由化に伴い、同銀行は公定歩合制度を廃止し、市場金利と連動する最低貸出レート制を導入した。同銀行の貸出は割引商社(ビル・ブローカー)のみに与えられているが、その金利水準は市中の短期金利水準を上回る罰則レートとなっている。割引商社は卸売金融機関であり、商業銀行からコールを取り入れ、その資金を大蔵省証券の保有や商業手形の割引に運用している。割引商社は伝統市場であるマネー・マーケットの中心に位置している。
商業銀行
1979年、それまで慣習法にすぎなかった銀行法を成文化し、「1979年銀行法」(The Bank Act 1979)が制定された。その理由は、石油危機後、小規模金融機関が経営危機に陥ったことにある。同法によると、今後イギリスで預金受入業務を行いうるのは、(1)金融界で高い評価を受け、かつ一定規模以上の資産を保有していて、イングランド銀行によって銀行と認定されたもの、(2)イングランド銀行より預金取扱機関としての免許を受けたもの、の二つである。銀行という名称は(1)の認定機関のみに許され、(2)の免許機関も認定銀行とともにイングランド銀行の監督下に入ることとなった。また、同法により預金保護基金が設立され、認定銀行も免許機関も同基金への加入が義務づけられた。
その後、サッチャー政権のとった一連の規制緩和策や市場原理導入、そして1986年のビッグ・バン(金融再編成)により、イギリスの経済および金融は活性化した。加えて、イギリスの金融システムは国際金融における金融グローバル化の流れをリードすることとなった。しかし、このような金融の規制緩和や証券ビッグ・バンは、金融・証券の自由化の浸透とともに資産インフレを引き起こし、金融システムが不安定化した。そのため、87年に銀行監督制度の見直しなどを目的として銀行法が改正され、「1987年銀行法」が成立した。
この1987年銀行法に基づいてイギリスの金融機関を分類すると、銀行およびディスカウント・ハウス(割引商社)、非銀行金融仲介機関に分けられる。そして銀行はリテール・バンク(小売銀行)とホールセール・バンク(卸売銀行)に大別され、とくに前者が商業銀行に当たる。商業銀行は、振替・決済業務を遂行するために手形交換所に加盟することが重要であることから手形交換所加盟銀行(クリアリング・バンク)ともよばれ、(1)ロンドン手形交換所加盟銀行、(2)スコットランド手形交換所加盟銀行、(3)北アイルランド系銀行、(4)1989年に大手住宅金融組合が株式会社化したことで銀行となったアビー・ナショナル、(5)多数の信託貯蓄銀行が合併することで銀行となったTSBグループ、以上五つから構成されている。イギリスの銀行は伝統的に商業銀行主義(当座預金や7日前の解約予約義務の通知預金で資金を吸収し、短期のみで運用する銀行)を守ってきたが、1970年代以降は、預金、貸出両面とも長期化する傾向を強めている。